二話
『新たな余韻に浸る間』
気が付いたら授業が終わっていた――なんてことはよくあることで、問題はそこではない。
教室には生徒の数が疎らだったことが問題なのだ。
「えーっと……俺を含めて五人は少なくないか?」
普通以上に教室を見渡し、首を傾げる。
いつもなら五月蝿い近衛がいるはずだが……今回に限っていなかった。
この謎は解かねばなるまい。でなければ、草枝卓治の名が廃るってモンよ。
江戸っ子気分で席から立ち、近くで雑談に花を咲かせていた生徒に話しかける。
「訊きたいんだけど、何で俺たちしかいないの? 他の奴らは?」
「お前、知らねぇーのかよ。今日はバス通の奴らは早めに帰らないと、帰れなくなる日だろうが。バスの運行がどーたらこーたらで」
どうやら、そうらしい。いや、それよりも、バス通の生徒がこれ程までに多いことに驚きだ。
「それより、徒歩の生徒は何故に帰れないんだ?」
不意に湧き上がる疑問。
「そりゃあ……何でだろうな」
分からないけど待っている。いつか先生が来て、何か指示を出すだろう。
ふっ、一介の生徒の考えは浅ましい。自分で行動を起こすことが人生の醍醐味だろうに。
「分かってくれたか。我は感無量だ」
掃除用具ロッカーから声がする。無意味に貫禄のある渋い声だった。
まさか、とは思ったのだが如何せん。青少年はやはり好奇心には逆らえなかった。
――ガチャリ。
それは紛うことなき、生まれたのときの姿をした高居近衛の姿だった。
…………。
あ、訂正。初めて出逢ったときの姿をした高居近衛の姿だった。
――バタン。
どうやら悪い夢を見ているらしい。
そう思い、卓治は自分の席に戻り、寝たふりをする。
しばらく寝たふりを続けたが、先生が教室に来る兆しすら見えない。
「先生を待ってるのか!!」
教室全体に響き渡る大声で、ウトウトしていた脳が活性化してしまった。
心も体もスッキリ爽やかな卓治は、声を主に目を向けた。
高居近衛だ。
「どうだ、我がまだロッカーに入っていると思ったか? 甘いな。確かに『バタン』とあるが、戸を閉めたとは書いていない。開けている隙に我が出た可能性だって考えられる。これこそがサスペンスやミステリーに多く用いられる叙述トリックだ!! この程度の謎も解けんようでは、名探偵はまだまだ先だぞ」
いや、誰も目指してねーですよ。それより、誰に説明してるんだよ……
「覇気の微塵もないような卓治よ。いったいどうしたのだ?」
なんて失礼な奴だ。人の顔を見るなり、微塵もないって……まあ、自分でもそう思うけど。
「俺は少しだけ疲れた。授業で寝たはずなのに、また眠くなってきた。おやすみー」
今日はまだ日が暖かく、教室内はポカポカとした空気に覆われていた。
雑談に花を咲かせている者たちは、先生が来て指示を出したとしても、雑談をしているだろう。それほど盛り上がっていた。
残りの二人はトランプをしていた。ババヌキのようだ。
それは二人でやっても面白くないだろ……
「起きるのだ、さもないと死ぬぞ」
「何で死ぬんだよ。気持ちいいぞー」
「この中の設定では、次に寝ると深夜まで起きないのだ」
「意味が分からん。まず設定って何だよ。しかも“この中”って」
「まあ、気にするでない。そのようなことよりも、疑問に思うことはあるはずだろう」
自分で振ったくせに。などと思っていても仕方がない。卓治は渋々と教室内を見渡す。
別に人数の少なさを除けば、いつもと何の変哲もない、無駄に贅沢な教室だった。
「お主の思考回路ではその程度か……人の面々をよく見るのだ。とある人物が存在していないことに気が付くであろう?」
近衛の言う“とある人物”は不特定なので皆目見当もつかないが、卓治はあることに気付いた。
家が近い幼なじみの綾野美月の姿が見えない。
家が卓治と近くて幼なじみなのだから、バス通な訳がない。なのに、教室にいない。
まさか……拉致?
「近衛……どれだけ海に行きたいからと言って、人として最低限のモラルは守らなくちゃダメだろ」
ゆっくりと席を立ち、向かいに立っている近衛の肩に手を置く。
「最低限のモラル、だと? そのようなものを守っているようでは、この学園生活を満喫することは不可能極まりないぞ!!」
そこまで力説しなくてもいのだが、やはり腐っても近衛。卓治を遠まわしに仲間にいれたいらしい。
人以下の位に。
「だからって拉致るのは良くない。美月の基本的人権を尊重してやれ」
「拉致る? ああ、拉致の動詞形か。造語としては微妙だな。っと、そのようなことはどうでもよいのだ。お主はつい先ほど『海に行きたいから』などと申しおったな? これだから一介の生徒は困る」
近衛から言わせれば当てはまるかもしれないが、世間様から言わせれば、お前こそが一介の生徒なんだが……気にしないでおこう。
「俺の寝ている間に、何か決まったのか?」
午後の授業を丸々と聞いていなかったことになるので、休み時間もぶっ通しで眠りを貪っていたことになる。
となると、休み時間に決まったことは知らない。そう思うと、妙に気になった。
「お主が睡眠と呼ばれる一瞬の気の迷いに負けている間に、大きく変更があったのだ。それは……一足先の夏を満喫するのではなく、二足先の總愁祭(そうしゅうさい)を開くのだ! ゴールデンウィーク中に準備し、明けてから祭り開催だ! 祭りは五日間のロンガータイムで、終わったら片付け。それから七日間の連休。この提案は素晴らしいとは思わぬか? 皆が一斉にスタートし、制限時間以内に力を尽くして製作やら創作をするのだぞ? 完璧だとは思わぬか?」
今の近衛の主張を整理すると、ゴールデンウィークを祭りの後に回して、秋にあるはずの祭りを前に持ってくる。片付けが終わったら、祭りの楽しい余韻を残したまま七日間の休日を満喫できる、ってことだ。確かに興味はあるが、そんな巨大なプロジェクトを実行しようとしたら、学園の行事を大幅に変更することになる。
それよりも、こんな無茶苦茶な変更を学園長が許可してくれるはずがない。
「大丈夫だ。学園長の許可は取ってある。我は昔から誘導尋問が得意だったのでな……」
最低な奴だ。学園長ですら手駒にするか。恐るべし高居近衛。
「ってことは……六限目は打ち合わせだったのか?」
「無論、当然だ」
五限目が終わって、海に行くのを中止して新たな提案を思いついて学園長に誘導尋問をする。成功して許可を貰い、各クラスの担任に決定事項を知らせる。それから教室に戻り、クラスで打ち合わせ。素早過ぎるにも程度ってものがあるだろうに。
「で、ウチのクラスはどんな出し物なんだ? まさか王道中の王道であるお化け屋敷じゃないよな?」
こればっかりは訊いておかなければならない。お化け屋敷だなんてメンドクサイことを、まともにやる理由がないからな。
「驚くなかれ! 我らがクラスの出し物は…………『絵画展覧会』なのだ!」
雑談の聞こえる教室内に、一陣の風が吹き荒れる。
風は前触れもなく、教室のドアから吹いた。
卓治は向いた。風の元に。
「…………」
えっと……気にせず話を続けよう。
「地味だろ……ってか、ゴールデンウィーク中に絵画を描いて、完成まで漕ぎ着けなければならないってことか……」
「その通りだ。我は昔から絵を描くのは大の得意なのでな。ま、その意見を反映させてもらったと言うわけだ。騒ぎを鎮圧するのに多くの時間を浪費してしまったがな」
まあ、反映して却下されて鎮圧をしたようだ。なんてぇ男だろうか。
「とまあ、そういう訳だ。海は中止……おおっと、もうこのような時刻か。我はこれにて退散とする。でわっ!!」
そう言い残すと、振り返ることもなく教室を飛び出していく。
雑談もキリがついたのか、いつの間にか終わっていた。
いつになく静寂に包まれた教室は、ちょっとだけ心地よかった。
卓治は窓際に立ち、壁に背中を預ける。
少ない生徒。心地よい空間。少し日の暮れた空。
全てがいつもと違って見えて、少しだけ哀しい気持ちになってしまう。
「そう言えば、何故にお主は帰路に着かぬのだ? 今日のカリキュラムは全て終了したのだぞ」
いつの間にか隣に立っていた、帰ったはずの近衛が話しかけてきた。
「えっ! 帰っていいのか? 先生が来るまで待つんじゃないのか?」
普通の生徒なら驚くとこはそこではないのだが、慣れてしまっている特殊な生徒は違うとこで驚く。
「我らが担任なら、意味なくアメリカに飛ばされたぞ。英語の先生なのだが、英語がまったく理解できなかったことを芳しく思ったのかも知れんな。学園長は」
そうだったのか。可哀相に、名もなき担任。
そんなことよりも、無意味な時間を過ごしてしまった。美月がいないのもようやく理解できた。
「そっか。アレ? 何でお前はまだここにいるんだ? 退散したんじゃないのか?」
「ふっふっふっ、我は言霊の役割をしただけだ。校門で一時間半も待ち惚けを食らっている綾野美月のな」
「美月の言霊? 内容は?」
「ゴホン! あー、あー」
どうやら近衛は、言霊よろしく卓治に声を女に変えて伝えようとしているらしい。
「『いつまで私を待たせるわけ? もう、春だからって何時間も待てないよー。早く来てよー』とのことだ」
卓治は密かに感じていた。
胃がムカムカし、腸を掻き混ぜられ、全て楽になりたいと思ってしまうほどの嫌悪感や、腹から喉にかけてこみ上げてくる異物感を。
男の声帯から繰り出される不可思議な甘く黄色い声に、卓治ひとりではなく、教室に散りばめられた少数の人間が身で感じただろう。
“コイツハ危険因子ダ。直チニ声帯ヲ毀壊セネバ”と。
教室内を卓治が見渡すと、目が逝ってる奴もチラホラと見受けられる。
何か言わなければ。
「もういい、発するな近衛。声を元に戻すんだ。無駄な抵抗をすると、クラスの少数が心の傷を負ってしまう」
近衛の肩に手を置き、何とか宥めてみる。
「そうか? そこまで言うのであれば、声を戻そう」
“ありがとう。君は救世主だ”皆の心の声が聞こえる。歓喜の声だ。
いや、これは皆で防いだことだ。皆も胸を張って歩けばいい。
「……治。卓治、聞いているのか?」
「あ? ああ、聞いてなかった。で、どうした?」
「行かなくてもいいのか? 綾野美月を怒らせると、今後の学園生活に支障がでてくるのではないか?」
そこまではいかないけど、早めに行くに越したことはないか。
「サンキューな、近衛。皆、また明日!」
机に掛かっているカバンを手に取ると、急いで教室を飛び出る。
「「「卓治ぃぃ! お前の勇姿、この目に焼き付けたからなぁー! 絶対に忘れないからなぁー!」」」
クラスの友人の声だ。忘れない。お前たちの意思も中々のモノだった!
「明日はいつもと同じ時間から始まるからな! 遅れるでないぞ!」
背後から聞こえた声に腕を上げて反応し、そのまま昇降口まで駆け下りる。
ロッカーを開けて靴を履き替え、そのまま前のめりになりながらも走って向かう。
見つけた。
少し長い髪を風に靡かせ、門に凭れ掛かっている幼なじみの姿を。
「ごめん、待った?」
「ううん、全然待ってないよ…………なんて言える余裕はないの! 早く行くよ」
「待てって」
夏になる前の春風に冷やされた美月の手を、優しく卓治の手が絡む。
少しだけ頬を赤らめた美月だが、それを悟られまいと早歩きで道を進んでいく。
美月の気持ちを悟ってしまった卓治は、心の奥で思ってしまう。
――今年は去年とは違う。大分忙しい年になりそうだ――
――――――――次へ続く……。
一話より少ないのは、三話が多くなるだろうと想定してのことです。
この調子だと、三話は少し多めになってしまうので、書き終えるのはいつになるだろうか。
気長に待っていてください!