三話
『油絵の余韻』










「ようやく集結したか烏合の衆(誤用)よ」
 今日から忙しい毎日が始まると思うと、憂鬱以外のなにものでもなかった――by草枝 卓治。
「なんだこの書置きはっ! 今日からは『(故)ゴールデンウィーク期間』だぞ! 早く絵を完成させなければ、總愁祭に間に合わんではないか!」
 近衛の声は教室の中を反芻し、
「絵とかダリィー」「メンドクサイって」「昔っから、絵だけは苦手なんだよね〜」「劇とかしようぜぇー」「ライヴやりてぇよぉ(つД`)」
 不評を連れて近衛のもとに帰ってくる。
 この場には卓治も美月もいないので、近衛の独壇場となっているわけなのだが……上手くいかなかった。
 まあ、年に一回の重要なイベントを『絵画展覧会』で催すのだから、青春真っ盛りの高校生には辛いものがあるだろう。
「えぇーいっ! 誰か、誰か草枝卓治の消息を知る者はおらぬか!」
 近衛がいくら叫んでも、帰ってくるのは不評だけ。消息を知るどころか、徐々に不快になっていく。
 これほどまでに思い通りにならなかったことはなかった。
 意見を出せば高確率で通ったし、誰かに文句を言われることもなかった。なのに、今回だけは違った。
 意見が通ったまでは良かったが、それから後がうだうだをしつこい。
 早く卓治に来て欲しかった。いつもの調子が出てないだけ、そう思ったからだ。
 時刻――九時三十分。天気は快晴。
 『(故)ゴールデンウィーク期間』は、いわば“休み”とされており、授業の日数を合わせるのに教員が職員室で慌てふためいているころだろう。
 それに乗じて絵を描こう、と言っている。
「文句がある者は挙手をせぬか! うじうじ言ってるだけでは、話が前に進まんではないか!」
 今まで感じたことのない感情に、次第に焦りを覚え始めた。
 どうになかってしまいそうな感覚に襲われる。
「くそ……」
 歯軋りをした、そのときだった。

「押すなっての! 俺は嫌だぁぁぁああ」

 後ろ側の扉が開き、美月に押されるように入ってきた。
 待っていた草枝卓治の……登場だった。
「書置きを残したって、絵を完成させないと恥かくのは私たちのクラスなんだからねっ!」
 美月の何気ない一言は、クラスの中へ浸透していく。
 それは、まるで水面に落ちる水滴のよう――波紋を浮かべて広がっていく。
「それもそうだな」「恥をかくのは俺らなんだよな」「あまり気が進まないけど、美月ちゃんの言うとおりかも」「わたし、頑張るっ!」
 このときばかりは感謝した。
 いつも美月に感じている感情とは違う、暖かい感情が生まれた。
 それは愛ではなく、恋でもなく……近衛本人ですら分からない、不思議な気持ちだった。
「やっぱり……描くわけですか……」
 クラスメートの反応を見て、卓治は悟ったようだ。
「卓治ぃぃぃいい!」
 近衛の声が響き、卓治の耳に届く。
「はぁー……なんだ?」
「なんだ? ではないっ! お主がサボリを興じているあいだ、我がどれ程までに大変だったか理解できるか!?」
「別に興じてるわけじゃねぇけど……ま、お互いに大変だったわけだ」
「何ィ?」
 卓治の言葉に、近衛は眉を顰めた。
「俺だってな、今日はサボってどうしよっかなぁ〜? なんて余裕なことを考えてたわけだ。だがしかし、宿敵である綾野美月の存在を忘れていた。のんびりと朝食を食べていると、急に家の中を支配するインターホンの音。しかも、連続で何度も何度も鳴り響く。いやー、アレは恐怖だったよ。ドンドン! と玄関のドアを叩く音。一人暮らしじゃなかったら、親にチョークスリーパーを決められるほど五月蠅かった」
「そ、そうか……それは大変であったな」
 怒る気力も失せ、近衛はため息を吐く。
 みんな大変なんだ、と実感してしまった。卓治に丸め込まれていることに気付かず。
「ったく。にしても、今日は何をするんだ?」
「今日は絵画の下絵……だな。でないと、さすがに間に合わん」
「そりゃ、そうだろうな」
「そもそも、絵画というのは何日も何週間もかけて重ね塗り、ようやく完成にまで漕ぎ着ける至高の娯楽なんだぞ? それを七日間で完成させろ、だなんて……本来ならどれだけ無茶を言っているか……理解できるだろう?」
 絵画のことを語っている近衛は、いつもと違って生き生きしていた。
 それもそのはず。高居近衛とは幼少のときより絵を描くが大好きで、風景画から人物画まで様々なものを描くことが可能。
 しかし、主に風景画を専門としているので、人物画は中学卒業式の日以来描いていない。
「まあ、なんとか、な。それにしても、近衛がこんなに熱くなるなんて、久しぶりじゃないか?」
 そうだった。これほどまでに熱くなったのは、中学卒業式の日以来だった。
 すべて、そう……すべて。中学卒業式の日――あの日を境に、高居近衛という人物が一変した。


   ◆ ◇ ◆


 絵画を描き始めて一時間が経った。
 クラスの皆も渋々ではあるが、ちゃくちゃくと下書きを描いている。
 テーマは天凪学園。
「やはり、天凪学園と言えばここしかないだろう」
 そう言って到着したのは中庭の一角だった。
 そこは時期尚早のタンポポが咲いていて、不思議な雰囲気をかもし出していた。
「まあ、タンポポは綺麗だよな。小さいながらも力強いっていうか……うん」
「そうであろう? 我はタンポポと桜が大好きだ。ヒマワリもタンポポに似て力強いとは思うが、タンポポには負ける」
「あー、確かにタンポポのほうが小柄なのにーって感じはするな。まあ、語っても仕方がない。早く描き始めよう」
 美術室から借りてきたセットを並べ、イーゼルの位置を決める。
「よし、この角度からだと力強く見えるかな。気合入れて描くか」
 気分を転換し、卓治は下書きを描き始める。
 嬉しくない、と言えば嘘になってしまうのだろうか。正直に言うと思ってもいなかった。卓治と、こうやって絵を描けることが。
「こらこら、ホモ疑惑をかけられそうな熱視線を卓治に注ぐ暇があるなら、早く作品を完成させたらどう?」
「失敬だな。我が誰に寵愛を注いでいたと申すのだ。変な疑いはかけないでほしいものだな、綾野美月」
「いや、誰も寵愛を注いでいた、だなんて知らないわよ」
「うむ、そうか」
 如何せん。どうやら何か深く考え込んでいたらしい。
 近衛は姿勢を整え、前もって済ませておいた下書きを眺め、修正していく。


   ◆ ◇ ◆


 陽も暮れ、周囲はどんどんと暗くなっていく。
「今日はこれで終わりにしよう。タンポポも表情を変えてしまっている」
「そう、だな。終わりにするか」
 卓治と近衛の言葉を合図に、皆も片付けを始める。
 ふたりは同時に伸びをし、同時にため息を吐いた。
「見事にシンクロしてたね。見てて楽しかったよ」
「そう言うのは別に構わんが、貴女だけには言われたくなかったのだが」
 近衛は聞き覚えのある声の方へ身体を向ける。
 誰もが認める学園一の背の低さ。南友紀子その人だった。
 曰く見えない狐悪魔(こあくま)、曰く異世界の忌使(きし)。これが小悪魔だったり、騎士だったりしたらどれだけ嬉しいことだろう、と卓治は思う。
 狐のような隠蔽力に悪魔のような素行、異世界から来たかのような異端な発想に、どう転んでも悪いほうにしか向かない行動。どれをとっても良いと褒めれる通り名ではないことは一目瞭然。
 ついでに言うと、近衛の好きな人(?)でもある。
「まあまあ、気にしない気にしない。で、進み具合は順調かな?」
 そう言って、身を乗り出してくる。
「順調も順調さ。まあ、全世界の皆様が『現世の異端児』とまで称してくれた草枝卓治だ。進まなかったら申し訳が立たないだろう」
「即興とは言えど、さすがに『現世の異端児』はないんじゃないかな? ネーミングセンスが……」
「なっ! 何てことを言ってくれますか! そう言う友紀子だって『見えない狐悪魔』とか『異世界の忌使』とか造語バリバリだろうが」
「だから好きじゃないんだよねー。もっと可愛い名前が欲しいよ。狐悪魔じゃないくて妖精とか、忌使じゃなくて乙女とか」
「言うに事欠いて何を惚けたことを! 妖精はまだ許容範囲だとしてもだな、乙女は許さん。その背の低さに甘ったるい声! 全世界の皆様が拍手をしながら許してくれても俺は許さんぞ! 本当の乙女たちを侮辱することになるからな!」
 いかんいかん、いつの間にか熱くなっていたらしい。自粛しないといけないな。
「うぅー! それは酷い言い草だよ! このーっ!」
 勢いよく突進してくる友紀子。
 早く、早くこちらに向かってくる。
 もう少しでぶつかる寸前――
「馬鹿をやっていないで、早く我々も帰路に着くぞ。暗い道は危ないからな」
 友紀子の首根っこを持ち、身体を宙に持ち上げる近衛。
 どうやら無駄な痛みは避けられたらしい。
「放せー! 放せー! ……うぷっ、ギブギブ! 呼吸が、息が」
 赤く興奮していたはずの友紀子の顔も、徐々に青白くなっていく。
 危ないと判断した近衛は咄嗟に手を離し、ため息を吐いた。
「乙女と認識してほしいのであれば、先程のような実に子供らしい行動は取らないことだな」
 お、おかしい……間違っている。本来ならば甘やかしそうな友紀子を叱っている。おかしい、不条理だ、不合理だ。
「人を誤認識する癖、治しておいたほうが良いのではないか? 卓治よ」
「ぐっ……」
 またしても心を読まれてしまった。
「さて、時間を無駄に過ごしてしまったようだな。我はこれにて失礼する」
 イーゼルを担ぎ、絵画セットを持って去っていく。そんな近衛の姿を見ながら、友紀子と卓治はお互いに見合わせる。
「……大丈夫か? 首周辺」
「う、うん。なんとかギリギリセーフ」
「近衛、どうしたんだろうな。やっぱり絵が上手く描けなかった、とか?」
「う〜ん、それは分かんないけど……何だかいつもと雰囲気が違うのだけは分かった」
 お互いにため息を吐き、卓治は友紀子に手を差し出す。
「ほら」
 目の前にある卓治の手を握り、友紀子は倒れた身体を起こした。
 いつの間にか周りは暗く、陽も完全に暮れていた。夜の学校はやっぱり不気味だ。
 あー、寒い。さっさと帰ろう。
「じゃあ、皆もさっさと帰ったみたいだし、俺も帰宅するとしますか」
「そだね。じゃ、バイバーイ!」
 大きく精一杯に別れの挨拶を済ました友紀子は、素早く校門の方へと走っていった。当然、イーゼルと絵画セットは持って帰っているわけがなかった。
「小さいのも不便だよな……」
 ひとりで喋っていても寂しさが募るだけなので、自分もさっさと支度をして帰ることにしよう。
 いちいち運ぶのも面倒なので、ベストポジションにイーゼルと絵画セットを放置して帰ることにした。
 明日からは大変になるだろう。
 春に似つかわしくない肌寒い風が、草枝卓治の身体を冷やしていった。

 




   ――――――――次へ続く……。







 多くなるとかほざいていましたが、本当に多くなりそうだったので番外編に分けることにしました。
 番外編では、あの『高居 近衛』が主人公です。
 5月の始まり頃に公開予定です。

 これから急旋回をします『春の余韻』。
 ほのぼの系やラブコメ(?)系では済ましません!